OSTERIA Don Tomoシェフの田村友和と申します。当店のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
私からのごあいさつにあたり、まずは、私の子供の頃からのお話しをさせてください。
あまり、ご興味はないかもしれませんが、当店がどんなお店なのかをよくご理解いただくために、どうしても聞いていただきたいのです。
固いお話しじゃありませんので、少しだけお付き合いください。
私が小学生の頃は、兄とその友達によく遊んでもらっていました。
遊んでもらっていたと言うよりも、正確には使いっ走りにされていたのですが(笑)
そんなある日、兄の友達の一人から、フライパンで作る乾麺の焼きそば(商品名は忘れましたが…)を買ってこさせられ、それを作ってくれと頼まれた事がありました。
内心、「いや、自分で作ってよ。」と思いましたが、断ることなどできません。なんせ私は舎弟のようなものでしたから(笑)
それが、私が初めて火を使った調理となりました。
悪戦苦闘の末、なんとなく形になった焼きそばを差し出すと、「おー、美味そうじゃん!うん。美味い!」と兄の友達は喜んで完食!
大役を果たした私は、ほっと胸をなでおろしたのでした。
と思ったのもつかの間。さぁ、そこからはと言うと、味をしめた兄の友達に、ほぼ毎回のように焼きそばを作らされました・・・。
しかも、最初は1人前だったのが気がつけば4〜6人全員分。小学生の私には結構な重労働です。
でも、その時同時に、私の心の中に、人を喜ばせる快感が芽生えてしまったのです。
自分がしたことで、人が笑顔になってくれたり、褒めてもらえたりしたら気持ちが良いですよね。
それが嬉しくて、もっとしてあげたくなってしまう。そんな経験は誰にでもあると思います。
私の場合、人に喜んでもらえる手段が、たまたま料理だったのです。
それから中学生になった頃には、ラーメン屋さんや洋食屋さんの見よう見まねで、色々な料理を作れるようになっていました。
力任せでフライパンを振るのでガスコンロの周りは毎回悲惨でしたが…苦笑
それは何気なく友達と渋谷センター街をうろついてた頃のことです。と言っても、当時流行っていたチーマーでは無かったですよ(笑)
目の前に、イタリア料理店の「アルバイト募集!」の文字が飛び込んできました。
そして、友達と勢いというかノリで「バイトしよう!」となり、その日のうちに面接をしていただき採用されたのです!
そう、イタリア料理との出会いです。
私は調理場に、友達はホールスタッフに。
初めて着るコック服、初めて入った厨房。そして、綺麗な先輩ウェイトレスさん(笑)
全てが新鮮で、私にとっては夢のようで楽しくて楽しくて。
ただ、仕事はそれなりにきつかったとは思いますが、楽しさの方が上回り、そのお店で3年間勤めさせていただきました。
その後も、イタリア料理の魅力にとりつかれ、中目黒の本格ナポリピッツァ屋さんへ転職。
さらにイタリア料理の奥深さを知り、将来は、独立して自分のお店を開きたいと夢を持つようになったのです。
そして、そのためには、他の業種も知っておいた方が良いと考え、居酒屋さんや、カフェの立ち上げシェフなども経験しました。
そして、29歳になった私に、またまた運命的な出会いが。
それはまさに私を変えさせてくれたお店、「サバティーニ六本木」との出会いです。
華やかで洗練された料理と、伝統を感じさせるエレガントな雰囲気、ホスピタリティにあふれた接客etc.
今まで経験したお店とは、全く異質のサービスを提供しているこのお店で働いてみたいと考え、転職を決心しました。
しかし、29歳で、この様な本格的なレストランに就職ともなると、年齢的にもかなり厳しく、辛いものがありました。
先輩方には年下の方々も…。
初めは相手にされず「イジメなのかな?」と思う事もあり、今までのお店では味わう事もなかった屈辱や危機感を感じ、職場ではいつも緊張の連続でした。
毎日、意識の高いプロ集団に囲まれ、ついていくことが精一杯。これが、料理の世界かと…改めて感じさせられたのです。
しかし、私には必ず独立するという強い気持ちがありましたので、その辛さや苦しさを時ともに1つずつ自信に変え、乗り越えることが出来ました。
サバティーニではイタリア料理の基礎・基本の他に、「お客様へのサービスとは何か?」を学びました。
私は良くスタッフに言います。
プロである以上、お店で提供する料理は美味しくて当たり前。お客様へは、美味しい料理はもちろんのこと、それ以上の感動や喜びを与えなくてはなりません。
例えば飲食店に行き、スタッフとのファーストコンタクト時に、なにか不愉快な思いをしてしまうと、その後の食事の時間全てが、マイナスとなってしまいがちですよね。
一度このような状態になってしまうと、どんなに美味しいお料理を食べても、どんなに良いサービスをされても結局、最後まで不快な思いになります。
これがそのままお店の評価につながるのです。
だから、お客様からの評価を0にするのも100にするのも、全てはサービスするスタッフにかかっている。
そして、評価を高めるために、何より大切なのは、技術や知識ではなく、『お客様へ対する優しさ』だと私は考えています。
そんな想いから、当店は、「常にお客様に優しく」をモットーにしております。
食に関しては、都内のレストランと同等の食材やお料理を、この場所ならではのお値段でご提供し、それを楽しく笑顔で召し上がっていただけるようにと、スタッフ一同、日々努力を重ねています。
どんなシチュエーションでも、そして、ご家族や大切な方、お友達、お仲間、どんな方とでも、ワイワイガヤガヤと楽しくテーブルを囲むことができ、いつでも気軽に立ち寄っていただけるお店にしたい。
それが、本来のイタリアンの形。私がオステリアという店名に込めた願いなのです。
長いごあいさつになってしまいましたが、最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
貴方とお店でお会いできることを、心より愉しみにお待ちしております。
Osteria Don Tomo シェフ 田村友和
1977.3.17 次男として東京都大田区に生まれる。
血液型はO型。
性格はのんびりや(自分では自覚はないが人に良く言われる)
幼小中高は全て大田区内の正真正銘の地元人。
少年野球と、父の趣味からモトクロスバイクを始める。
小3の頃、マイク真木の経営するモトクロスコース場で50ccクラスの大会に出場。
真木蔵人の弟に勝ち見事優勝!その彼はのちにプロサーファーへ。
当時、真木家とは友好関係にあり。
この頃好きだった映画は、スピルバーグ系やスタンドバイミーなど、やはり父の影響でハリウッド映画。
サーフィンやスケートボード、スノーボードなどいわゆるアメリカンスポーツにハマる。
これも父の影響か?
当時良く聴いていたミュージックは、MCハマーやマイケルジャクソン、バニラアイス、ビリージョエル、シンディーローパーなど、やはりアメリカンミュージック。
地元のピザ屋さんでデリバリーのアルバイト。
原付免許をとったので、実はただバイクが乗りたかっただけ(笑)
渋谷センター街のイタリア料理店でアルバイト。
自由が丘のアメリカンレストランでアルバイト(今考えるとこの店が一番忙しくキツかったかも…)
中目黒の一軒家レストランへナポリ料理勉強のため就職。
世田谷のカフェに立ち上げシェフとし就職。
本場イタリア料理を勉強するためローマ、ナポリを1週間ほど食べ歩きの旅へ。
その年、キャビンアテンダントの妻と沖縄で出会う。
妻は現在、ソムリエとなり当店のワインを管理する。
サバティーニ六本木へ就職。
8年間ローマ料理一筋に。
新松戸に、念願のオーナーシェフとして、「オステリア ドン トモ」をオープン。
現在二児の父となり、二人共少年野球チームに所属する。
暇さえあれば少年野球のお手伝いをする程野球好き!
たまにゴルフもやるが、人には言えないスコア(汗)